飲み屋にはときどき、『オヤジの聖域』というべきお店が存在する。
人通りの少ない路地裏、こびりついた酒や煙の匂い、お世辞にも綺麗とはいい難い店内で、オヤジたちが横一列にその肩をぶつけんばかりに並んでいる。
まだ日も明るいというのに、オヤジたちはなんだかやたら楽しそうだ・・・そんな光景を目にしたことはないだろうか。
富山市総曲輪にある「両国」というお店が、ぼくにとってのオヤジの聖域であり、ぼくがまだきときとのヤングだった時代からの憧れのお店だった。
しかし両国は若造を容易に寄せつけないオーラを醸し出していて、その戸に手をかける勇気はそうおいそれと湧いてくるものではなかった。
しかもこの両国、たまにお店の前を通りかかったときに、おばあさんがお店の前で座っていたりするのだ。客引きなのか、ひなたぼっこなのかはわからない。
いずれにしても、当時のぼくでは太刀打ちできないことは明らかだった。
「あんちゃんにはまだ早かったかな」
きっと若造時代のあるのんでは、たまたま横になった赤ら顔のオヤジにそう言われてしまうのがオチだったろう。
圧倒的に足りない社会人、及び酒飲みとしての経験値や人間力。
当時のヤングあるのんは心に誓った。
「両国の似合うオヤジになるんだ」、と。
そう心に決めた日から、はや10年が経過した。
そして、さらにもう10年が経過した。
それを聞いた誰かが言った。
「もう十分じゃない!?」
しかし言われてみれば、鏡を見るとなんと白髪が増えたことか。いや髪の毛どころじゃない。あろうことかアソコの毛まで白いのが混じってきているではないか。
そうか、ぼくもいつの間にやら両国が似合うオヤジになっていたのか。
あのディープな空間で、オヤジらと肩をぶつけながら朝乃山の話題できっと盛り上がれるのだろう。
いよいよ時は満ちた。これまで貯めてきたあらゆる経験値を活かすときがやってきたのだ。
これまでずっと両国には行かずに他の飲み屋へ足繁く行っていたのは、「両国を心ゆくまで楽しむための修業だった」といっても過言ではない。
ある雪のちらつく夜、ぼくは足早に総曲輪の裏通りへと歩を進めていった。
お店の人は馴染みやすい人柄だろうか。常連たちはどんな人たちなのだろうか。
期が熟したオヤジあるのんといえども緊張する一瞬だ。
入口の前で一瞬立ち止まり、ガラガラと音を立てながらその戸を開いた。
眼前に広がったのは、年季の入った煤けた店内、かすれて読めないメニュー、法則性のない乱雑に置かれた皿など、まさに思い描いていた昭和のイメージ通りのお店だった。
店内の座席はコの字カウンターのみで、カウンターの中心には大将がいて、カウンターには常連客が一人だけ座っている。
手前の席に座ろうとしたところ、カウンターの一番奥に座っていたおばあさんが手招きしている。
以前見かけた、お店の前で座っていたおばあさんだった。
言われるがままに、おばあさんの近くに座りコートを脱いだ。
さて、最初に何を飲むか。一瞬迷った後、なんとなくいつものノリで生ビールを注文した。
しかし、その決定に後悔するまでそう時間はかからなかった。
暖房が効いてるとはいえ店内は意外と寒かった。ここは熱燗にするべきだった・・・
両国に行くにあたって事前に知っていた情報としては、このお店が焼き鳥店であることと、「おまかせ」があるらしいということくらいだ。
うん、このお店はなるべく白紙に近い状態で楽しむのがいいんだ。ぼくと両国のページはこれから綴られていくのだから。
「おまかせ」があるのは本当にありがたかった。このお店のメニューはあってないようなものなので。
何も知らずに入ったら、人によっては詰んでしまうかもしれない。
値段設定もさっぱりわからない上に、かすれて読めないメニューが多い。
黒板メニューは本来その日のオススメを書くべきものであるが、もはやいつから書かれているのかわからないほど字が薄れている上、本当に今できるのかどうかも疑わしいところだ。
恐る恐る「おまかせ」をオーダーしてみると、小皿の料理が段階的に運ばれてきた。
突き出しサイズの牛すじ。一番最初に出てきたことから、実際突き出しなのかもしれない。
この牛すじはあっさりめの味付けだが、程よく柔らかく食べやすいサイズで、これからの期待に胸が高まろうというものだ。
次に出てきたのは白菜の漬物で、おばあさんの手作りだ。
酒飲みには漬物好きが多いが、この素朴な漬物のうまさは今や大変に貴重なものといえるだろう。
たらの煮付けは旨味が濃く、熱燗に移行してから存分に楽しみたい一品だ。
ビールがなくなる頃、いよいよ待望の熱燗をオーダーした。
しばらくして運ばれてきたものは、手鍋に直接酒を入れて温めたものだった。
昔の話だが、友人が熱燗にしようと手鍋に直接酒を入れて火にかけたところ、しばらくして「うわああああぁぁ!!!!」という悲鳴が階下から聞こえてきた。
そこで我々が目にした光景は、キャンプファイヤーと化した手鍋だった。
今日の日はさようならと言わんばかりに抜けたアルコールの熱燗は、今でも忘れることのできない思い出の味である。
なぜこの温めかたで炎上しないのか不思議に思ったが、大将はそんなことはおかまいなしとばかりに手鍋に入ったお酒をグラスに注ぎ、グラスに注いだお酒をすぐまた手鍋へ戻し、それをさらにグラスに注ぎ、また手鍋へ戻し・・・ということを3回繰り返してから出してくれた。
熱燗でこのような儀式を見たのはこれまでの酒人生で初めてのことだ。
手鍋の酒の量はグラス一杯分よりも多かったことから、冷えたグラスによる温度低下を防ぎ、なるべく長く温かいままで飲んでもらおうという配慮ではなかろうか。
手鍋に残ったお酒は、大将の目の前にあるグラスにも注がれた。
しばらくして熱燗のおかわりを伝えたところ、大将は鍋に残っていた熱燗を注いでくれた。
しかしグラス1杯を満たすにはお酒が足りなかったので、足りない分を「このままでいい?」と一応は訪ねつつ有無を言わせない勢いで冷や酒をグラスに注いでいった。
これまでの酒人生で、熱燗と冷やのハーフ&ハーフは初めての経験だった。
それにしても、この手鍋の年季の入りようは尋常ではない。
手鍋の外側の面という面はすべて真っ黒になっていて、焦げなんて生易しいものではなくもはや炭化している。
この常連さん、なんと子どもの頃から親に連れられてきていたとのこと。
そして常連さんにはお子さんもいるそうなので、親子三代で両国に来る日も近いのかもしれない。
手鍋を写真に撮ってもいいかお願いしてみたところ、快諾していただけた。しかしその時は既に手鍋を片付けた後だった。
どうやら本気で探しているようだ。
この黒い焦げた部分が熱伝導を穏やかにし、火柱化を防ぎながらお酒の味をまろやかにするのだ!(根拠なし)
以前はこのポットで熱燗を提供していたとのこと。
いよいよおまかせのメインとなる焼き鳥の盛り合わせが運ばれてきた。
コク深いタレの味、炭火で焼いた焼き鳥は最高だ・・・って、おやぁ???
これらの焼き鳥はすべて豚肉と牛肉で、鶏肉は見当たらない。
せっかくだから鶏も食べたいなと思い、かろうじて読み取れるレバーとかしらを追加で注文してみた。
大将が奥に引っ込んでジュージューやってる音に多少の違和感を感じつつ、しばらくして皿が運ばれてきた。
え、こういう系!??
もはや串にすら刺さってない。
しかし味は抜群だ。レバーは臭みもなく柔らかくプリッとしているし、かしらはこりっとした食感で噛み締めてにじみ出る旨味がなんともクセになる味だ。
そして、かしらとは豚肉の頬肉とのことらしい。
レバーは恐らく豚肉のもので、ここでも鶏肉は食べられなかった。
店内のテレビでちょうど大相撲のニュースが流れだした。これはビッグチャンス到来だ!!
回ってない寿司屋のような明朗会計っぷりだが、いや、もしかしたら大将が珠算の高段位者かもしれない。
お酒も食べ物も単価がさっぱりわからないが、今回の食べ物の他に1人でビール1杯+日本酒を4杯は飲んでるので、他のお店ではなかなかこのような値段にはならないだろう。
焼き鳥のお店と聞いてきたのに最後まで鶏は出てこなかったが、両国は他のお店には見られない無数の楽しさや温かさに満ちていた。
これまで長らく待った甲斐があったというものである。
そんな感慨にふけっていると、ぼくをどん底に突き落とす驚愕のセリフが言い放たれた。
初めての両国は、まるで昔から知っているような、不思議な親しみを感じるお店だった。
残念ながらぼくはまだ両国の似合うオヤジではなかったらしいが、これからはもはや待つ必要もないので、両国の常連の仲間入りすることを今後の新たな目標としたい。
よし、次回は琴ヶ梅ネタを仕込んでいこう。
コメント
コメント一覧 (6件)
両国懐かしいですねぇ
20年ほど前、夜勤明けに職場の年配の人と朝から瓶ビール飲んでました
食べるものに関しては然程記憶には残ってないんだけど、午前中から顔を赤くした常連の年寄り連中がちびちびやってました
茶文さんと並び長く頑張って欲しい一軒です
気配り上手さん、こんにちは。
この小生、夜勤明けの朝ビールは未体験ゾーンです。
昔は朝から営業されていたということなのですね。
朝からやってる飲み屋が富山にあったというのは大変に貴重で羨ましいことです。
おいしそー!
れおさん、こんにちは!
お店の雰囲気、大将やおばあさん、常連さんという絶妙なスパイスによって、焼き鳥がよりおいしく感じられることでしょう。
ぜひ行ってみてくださいね~
初めまして。
旅のモンで週末富山人と申します。
入るのになかなか躊躇していた両国さんにやっと行って来ました。
一見の客にもフレンドリーに接してくれるおばあちゃん、貴ブログの仰る通り取り出したモノをどこに置いたか忘れてしまう大将。
あまりのテキトーさに苦笑です
週末富山人さん、こんにちは。
ようこそ富山へ!よりによってまた渋いお店に行くかれましたね(笑)
今どきのキッチリした接客もいいですが、こういうゆるい感じもまたいいものです。
今の時代に失いつつあるアバウトさを楽しめる人であれば、とても楽しめるお店だと思いますね。
また富山に来てくださいね。