こんにちは、富山人あるのん@_arnon_です。
今回は富山市にある製薬会社「廣貫堂」の敷地内にある廣貫堂資料館に訪問してみました。
皆さんは「富山の薬売り」をご存知でしょうか。
富山の薬売りは300年以上もの歴史ある富山の伝統産業であり、富山の薬売りは「富山売薬」や「越中売薬」として全国各地で広く親しまれてきました。
なぜ富山で薬が発達してきたのか。
富山藩第2代藩主前田正甫がその発端となるのですが、病弱であった前田正甫は幼い頃から医学に対する興味や関心が人一倍強い人で、合薬の研究にとても熱心でした。
1690年のこと、江戸城で腹痛にみまわれた三春藩主の秋田輝季に、前田正甫が「反魂丹」を与えて服用させたところ、たちどころに腹痛が治ったという「江戸城腹痛事件」は今も語り継がれる有名な逸話となっています。
この反魂丹によって富山売薬が発展していくことになるのですが、この後に薬の画期的な販売方式である配置販売方式が誕生することとなります。
様々な薬を家に配備しておき、使った分だけを後で支払うのが配置販売方式ですが、これは用いることを先にし、利益は後からという先用後利の考えに基づくもので、江戸時代から現代まで続く富山売薬業の基本理念となっています。
なぜこのような販売形式が生まれることになったのか。
それは前田正甫による「医療の仁恵に浴せざる寒村僻地にまで広く救療の志を貫通せよ」の言葉によるもので、「広く救療の志を貫通せよ」がまさに廣貫堂の社名の由来となっているのです。
廣貫堂資料館へ
さらっと予習を終えたところで、さっそく廣貫堂資料館にお邪魔してみたいと思います。
場所は富山市梅沢町。
とっても懐かしい光景です。
何を隠そう、ぼくがまだきときとの小学生だったときにほんの一時期ですが、このすぐ近所に住んでいたことがあるのです。
この梅沢町はやたらお寺が多い町でして、あるとき知らないおじさんに「この辺にお寺ってありますか?」と尋ねられて、困り果てたぼくがやっとのことで「この辺お寺ばかりです・・・」と絞り出すように伝えたのも今ではいい思い出です。
やたら年季の入った正門ですが、資料館はこの敷地内にあるので普通にこの門から入っていきましょう。
自家用車は正門から入って、大型バスは東門から入るとのこと。
駐車場は資料館のすぐ正面にあります。
ところどころにある目印を頼りに進んでいきましょう。
と言ってもすぐに着いちゃうんですけどね。
すっかり立派になられちゃって~( ;ω;)ホロリ
廣貫堂資料館は本社社屋のすぐ目の前。蔵っぽい外観になっていますね。
資料館に入ると眼前に売薬さんが立ちはだかります。
「ここを進みたくばワシを倒してからゆけい」とぼくの厨ニ脳に響かなくもなかったですが、なんといっても背中の荷物がでっかいですね!
背中に担ぐこの柳行李(ヤナギゴウリ)の中には薬だけでなく、詳細な顧客の情報が記された懸場帳(カケバチョウ)や、紙風船なども入っています。
薬なので一つ一つは重たくないはずですが、ランドセルの数倍あるようなこの柳行李を担いで全国津々浦々を巡るというのはとてつもなく大変な行程だったことでしょう。山賊や悪漢に襲われる心配もあったことでしょう。
売薬さんの間には「信用三本柱」という言葉が受け継がれています。
「一代限りと思うな。孫の代まで続けるという心がけで、真心をこめて対応し、誠を尽くそう。」
信用三本柱は「商いの信用」、「くすりの信用」、「人の信用」から成り立っています。
中でも人の信用は最も重要視されていたそうで、「くすりを売るのではなく、人間を売れ。顧客は人間を見てくすりの信用、イメージをつくる。」との言葉通りに、売薬さんは悩み事や相談事に対して真摯に耳を傾け、ときには嫁や養子の相談を受け、ときには婚礼や祭の宴席に招かれて歌や踊りを披露し、ときには医療の公演を頼まれ、ときには達筆を買われて書き物を頼まれるということもあったのだとか。
親子二代・三代にわたって交流が続けばその関係はもはや親戚のようなもので、しばらく顔を見せないとその身が案じられるほどに良好な関係が築かれていたのです。
まず受付をしよう
入口を入ってすぐ左側が受付となっています。
受付でアンケートを記入しましょう。
といってもその内容は「どこから来たのか」とか「何を見てきたのか」などで、考えようによっては哲学的でありますが深読みしなければ簡素なものなので、個人情報などの記入はありませんからどうかご安心を。
記入がすむと嬉しいご褒美が待ち受けていました。
なんと、栄養ドリンクが無料でいただけちゃうのです。
サンリキソV! タウリン1500mg! さあ皆の者、乗り込めーー!!!
この栄養ドリンクは年間2.5億本も生産するという滑川市にある大きな工場で製造されたものです。毎分800本、日産100万本という我々パンピーには想像のつかない圧倒的生産能力を持っています。
ドリンクを受け取ると、受付の人からDVD映像を見ていくように勧められまして、栄養ドリンクをいただいてしまったからにはということで大人しく視聴させていただきましたが、廣貫堂や売薬の歴史を知ることができでなかなかタメになる映像でしたよ。
そもそも廣貫堂は古くから応報やPR活動を積極的に行ってきた会社です。なんなら自社制作のPR映画もあるくらいで、これが当時ものすごく好評だったそうです。
つまり映像のノウハウも多く蓄積されている・・・ と考えるのはぼくの考えすぎかもしれませんが。
ちなみにこのDVD映像のナレーションを担当しているのは、かの有名な元マスオさんの声優さんです。まったく気づかなかったけど・・・
我々に馴染み深いマスオさんの声は増岡弘さんという方だったんですね。マスオさんの声優はマスオか・・・ というギャグは過去100万回は言われたことでしょうから、ぼくはあえて避けることにします。
展示室
富山市安養坊にある民俗民芸村の売薬資料館は撮影NGですが、こちらは撮影OK。
貴重な資料や道具を眺めながら、薬や廣貫堂の歴史についてわかりやすく知ることができます。
今ではすごく貴重な昔の薬のパッケージや、製薬に必要な道具なども展示されています。ちなみにかつて薬の調合は売薬さん自らが行っていたんですよ。
今の時代は昔に比べてより清潔で品質の高い薬が高速かつ大量に製造できますが、でも売薬さんがごりごりと手作りで作った薬もそれはそれでよく効きそうな気がしませんか?
昔の薬のパッケージってどれも個性的で魅力的ですよね。
中にはどうしてこうなった?と思うような不気味なのもありますけど。
年季があるってレベルじゃない日誌を発見。
触れるべからずとは書いてなかったので恐る恐るめくってみたところ、何が書いてあるのかはよくわかりませんでしたが、その達筆っぷりには嫉妬さえ覚えました。
売薬さんがかつぐ柳行李には紙風船や売薬版画などのお土産も積まれていて、子どもから大人まで大変に好評だったようです。
売薬さんから紙風船をもらうときのキラキラした子どもの瞳は、想像するだけでもほっこりしますよね。
江戸城腹痛事件のジオラマ
思わず「あるんかい!」とツッコまずにはいられなかったのがこのジオラマ。
反魂丹が全国的に広まることとなったきっかけになった、三春藩主の秋田輝季が腹痛をおこした場面を再現したものです。
こうして見てみると「まあ大の大人がハライタくらいでなんとも大げさな」と思わなくもないですが。
でもまあ秋田輝季の痛々しい表情と、それを横目に「オイオイオイ、死ぬわアイツ」と言わんばかりの冷ややかな眼差しのリアルさは一見の価値あり。
この場面で反魂旦を与え、たちどころに腹痛が回復したのを目の当たりにした各藩の大名たちが、反魂丹の行商を懇請したことから全国に広まっていったのですから、秋田輝季公の功績は多大なものといえるでしょう。
サンキュー、テッル!!
富山のおみやげコーナー
富山らしい食品のお土産もあるんですが、やっぱりこれが気になっちゃいますねえ。
そう、もちろん富山の薬ですよね。
熊の胆(クマノイ)だけでもこんなにいっぱいありますよ。でもこれは廣貫堂だけでなく他の製薬会社のも販売されていて、自社だけでなく他社の製品も販売するとはなんという公平さでしょうか。
「真心をこめて対応し、誠を尽くそう」
という信用三本柱の教えが、きっとここにも息づいているのでしょう。
ぼく的には「熊の胆の胆嚢(タンノウ)は、現在では牛の胆嚢が使用されている」と聞いたのが本日のハイライトでした。確かにどの熊の胆を見ても原材料に「熊の胆嚢」の文字はなく「牛の胆嚢」と書かれているではありませんか。
これは富山大和漢医薬学総合研究所の研究によって、牛胆でも同様の効果が得られることがわかっているそうで、とりあえず牛タン食べたくなってきました。
さてと、ではどの薬を買っていこうかな。
いつまでもしつこい咳に悩まされていたので、こちらを購入してみました。
頼むよお姉さん!
パッケージに合わせた袋に入れていただきました。なかなか凝ってますよねえ。
袋の上の三角の出っ張りを引っ張ってみると・・・・
これはもしや紙風船!? ひゃっほおおぉぉいい!!!!
さっそく膨らませて一人静かに遊んでみたところ、意外と確かな浮遊感を満喫することができまして、いつまでも童心を忘れることができないおっさんとしてはなかなか楽しめました。
このせきどめを服用してみたところ、たちどころに咳が治ったー!とはさすがにわざとらしくて書けませんが、症状は確実に緩和されとても楽になりました。
廣貫堂資料館まとめ
廣貫堂資料館は無料で見学できて、超簡単なアンケートに答えるだけで無料の栄養ドリンクがもらえて、製薬や売薬の歴史に触れることができる富山の穴場的スポットです。
日々我々は何かあれば処方されたとおりに薬を飲んでいますが、薬についてもうちょっとだけ深く広く知ることで薬や健康に対する意識も変わってくるのではないでしょうか。
過去から現在まで伝わってきた富山の製薬・売薬の歴史が、さらなる富山のくすりの発展となっていくことを願ってやみません。
もしこの廣貫堂資料館が少しでもあなたの心の琴線に触れたなら、民俗民芸村の売薬資料簡も訪れてみるのもいいと思いますよ。
廣貫堂資料館
住所:富山県富山市梅沢町2丁目9-1
電話:076-424-2271
営業時間:9:00〜17:00
定休日:年末年始・臨時休館日
コメント
コメント一覧 (2件)
梅沢町ちゅうたら塩苅食堂やな
気配り上手は床上手さん、こんにちは。
レトロなお店ですが、すごく人気ですよね。
久しぶりに行ってみたいなと思いました。
https://arnon.jp/shiokari